正直に言って徳田秋声のこの作品は、読んでいるとついつい夜更かしをしてしまうと言うよう なものではない。極めて読みづらく、あまりにも日常的すぎると言う感じがする。話がいきなり飛んで、イメージとして浮かんでくる余裕を読者に与えない様な個所が多い。「笹村が妻の入籍を済ましたのは、二人のなかに産まれた幼児の出産届と、ようやく同時くらいであった。」と言う書き出しで始まるこの作品は、何となく一緒になった二人の生活を淡々と表してはいるが、「何か」 を感じることが難しい。自分の読解力が不足しているのかも知れない。この作者や作品を解説している人に、江藤淳と川端康成がいる。江藤淳の評はかなり手厳しい。「夏目漱石はこの作品を朝日新聞に推薦した人であり、好意的であるが、彼の作品である『道草』と比較すると視点があまりにも低い。漱石には見えている人物の背後が、秋声には見えていない。」 と言っている。一方川端康成は好意的であり、「すらすらとは読み進めないうえ、集中して読まないとのみ込みにくい。しかしこれは、秋声がよく言っていた『作品の密度』のためと思う。」 と評している。また、日本の小説は源氏に始まって西鶴に飛び、西鶴から秋声に飛ぶ。とも述べている。 |
宴の後 平野神社 【本文との関係---発行季節】 |
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