正月閑話 「福 寿 草」 平成13年正月
庭に福寿草の株が5つ6つ植わっている。庭と言っても猫の額ほど、いやまあそれよりは少し広くて、畳1畳位の場所である。この福寿草は一昨年の暮れに、妻が日曜大工店のガーデニングコーナーで買い求めたものである。
あまり心の浮き立つような事もない年であったので、そのフ・ク・ジ・ュ・ソ・ウという、いかにも良いことがありそうな響きに惹かれたのかもしれない。辞書には
「福寿とは幸福で長生きをすること」 とある。元日草とも呼ばれ、小さな黄色いつぼみをつけて、お正月用の寄せ植えミニ盆栽として売られている。玄関の下駄箱の上にでも置けば、新年を迎える雰囲気が出るに違いない。
しかし、盆栽の趣味やセンスのない私たちには、似合いそうにもない。昨年はそのかわいらしい花を長く楽しませてもらった。「庭」 と言うと聞こえの良いその一角には、3メートル程の高さになった紅梅がある。その根本に半円を描くように彼女達の住まいがある。まあ、妻にしてみればちょっとした盆栽風のつもりかも知れない。この狭い空間に、一体何種類くらいの草木が植わっているのだろう。ミニポットから移し替えられた紅白二本の木瓜の木も、ひっそりとではあるが自己主張をしている。4〜5年でやっとのこと、細い手足を1メートルばかりにのばした。万年青もある。水仙、紫陽花、チューリップ、皐、テッセン、ムスカリなどそれぞれ個性があって、さながら多士済々の様相である。しかしながら、もともと狭いところへ色々と植えてあるため、皆なんとなく窮屈そうでもある。だが、「これはちょっと植え過ぎと違うの?」
などという口出しは御法度である。もしもそんなことを言おうものなら、「お父さんの植木は梅だけですよ」 とやり返されるに決まっている。内心では矢張り植え過ぎとは思うが、私もそんな様子を結構楽しんでいる。
毎年のことではあるが、ご多分にもれず我が家でも、心の弾むような事は滅多にあるものではない。娘も一人は昨年嫁いでしまった。いずれ老夫婦で暮らすようになるのであろう。しかしその時でも、ほんの少し幸せそうな、我が家の福寿草のように過ごせたら最高かなと思う。
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