《私の本棚 第四十七》  平成13年2月 

     
「随唐演義」  安能務  

 この本の題名からして、内容は随と唐の時代の出来事を書いたものと察しがつく。しかし、十八史略のように権力階級の目線で書かれてはいない。封神演義のように人間と神仙の世界が混然としているわけでもない。聊斎志異のように奇怪な世界でもない。訳者によれば、「演義」 とは大衆の知らされている 「歴史」 と、その歴史によせる 「願望」 を、歴代王朝が編纂した正史に加える作業のことだと書いている。正史と聞けば、それが絶対過ちの無い事実の記載と思い込みがちだが、不都合なことは書かないし、編纂者のレベルでの記載でしかない。また、「歴史とは過去になにが起きたかではなく、何が起こったと人々が信じたかである」 とも引用している。中国人に言わせると、演義は歴史であり、地球が丸いと信じるのと同じ (当然) であるらしい。
 この演義を読むと、則天武后 (武則天) や玄宗皇帝・楊貴妃も正史にはない人間味、温かさや弱さが見える。特に、則天武后の残忍性は庶民には関係なかったようだ。女性が強い時代で、巷では時の絶対権力者の皇帝でさえも、「かかあ天下」 とからかわれていた事が見える。 
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