《私の本棚
第七十九》 平成15年10月
「壕端の住まい」
志賀 直哉
作この短編は大正13年に書かれています。作者は、大正3年に松江城西側の内壕付近の内中原町にある借家に3ヶ月ほど暮らしていたそうです。書き出しの部分にそのことに触れて、申し分なかったと言っています。「もし客でもあると、瀬戸ひきの金盥で牛肉のすき焼きをした。別にきたないとは感じなかった。かえってそれを再び洗面器として使うときの方がきたなかった。一つバケツで着物を洗い、食器を洗った。馬鈴薯を洗面器で茹でるとき、台所のあげ板を蓋にした。」
と書いていますから、敢えて苦学生のような生活をしていたようです。人との交渉を避けてここに来ましたが、いろいろな小動物、隣の大工の若夫婦、彼らが副業で飼う鶏の一家、鳶、猫、母子二人で営んでいる素人下宿など、作者の内面にある温かさが滲んできます。 作中に松江から汽車道に沿って湯町という駅まで歩いたとあります。また、「湯町から六七町入った山の狭に玉造という温泉がある…」 とも書いているところから、現在のJR玉造温泉駅は、その辺りの地名を付けた 「湯町駅」 だったのだろうと推測できます。 |
一畑電鉄 松江しんじ湖温泉駅 駅前 足湯風景 【本文との関係---地理】 |
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