《私の本棚 第九十三》 平成16年12月
「巌流島」
斎
藤 茂 吉 著
明治15年山形県生まれ。東京帝国大学医科卒業の医師にして歌人。この小文 「巌流島」 は、大正10年、船による欧州旅行に向けて日本を 離れる前、停泊中に立ち寄った印象を書いた文章です。 もともと小さな正式名称 「船島」 は、現在埋め立てられて6倍以上の大きさになっています。もちろん、船の形は残っていません。 茂吉はこの文章の中で、剣豪武蔵のことを、 「卑怯者」 と一刀両断にしています。氏は、勝負の時刻に3時間も遅れて来たこと。そのことを佐々木小次郎巌流になじられても馬耳東風。それどころか怒った小次郎が鞘を捨てたのを見て小馬鹿にしたこと。そして武蔵が同じ道具を使わなかったこと等を挙げています。 それが戦術であって、一命を賭けた勝負なら仕方がないことと承知の上でです。こんな歌を残しています。 ……わが心いたく悲しみこの島に命おとしし人をしぞおもふ…… |
巌流島 (背景は関門橋) 自転車で明石→小倉へ1昼夜 かけて走った後なので、島の先端 には行けなかった(気力なし!) 【本文との関係---地理】 |
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