「スイスの
家族ロビンソン」
ウイース(Johann.David.Wyss) 作
誰にでも幼い頃に出会った 「あの一冊」 があると思います。私達の年代は小学校の高学年でテレビが普及しました。テレビが普及するまでは、冬の寒い夜は家族でコタツに入ってラジオを聞くのが楽しみでした。コタツと書くより「火燵」と書いた方が分かりやすいでしょう。外見は今のホームコタツと同じですが、熱源は豆炭でした。取り立てて何の娯楽もない時代でしたから、現在よりは本を読む環境に恵まれていたともいえます。 そんな頃に初めて出会ったのが、ロビンソンクルーソーのアレンジ版とされているスイス人作家による 「スイスのロビンソン」 です。原題は 「THE SWISS FAMILY ROBINSON」 で私の記憶でも 「スイスの家族ロビンソン」 でした。ネットで検索すると 「スイスのロビンソン」 や「家族ロビンソン」 でヒットしますが、「スイスの家族ロビンソン」 は見あたりません。この頁 にリンクを設定してありますが、今は絶版になっています。図書館にないものかと一生懸命に探しましたが、洋書が一冊あったきりです。 嵐で船が難破し、助かったのは両親と4人の子供、家畜や銃と火薬 、穀物の種などだけです。絶海の孤島で家族は知恵を出し合い協力しながら生活します。頁を開くたびに彼らと行動を共にし、ハラハラどきどきワクワクの連続で、登場する子供達の成長に合わせて私も成長したのかもしれません。何度もなんども繰り返して読み、しまいには頁がバラけてしまいました。この一冊の本が、その後私を本好きの子供に育ててくれたと今も信じて疑いません。 記憶に間違いが無ければ、全集もので文庫版より一回りくらい大きく、平凡社の出版ではなかったかと思います。 今、手元に残っていれば宝物のように大切にするのに・・・。本当に残念です。 この本に出会ったからこそ、今日まで多くの作品に親しむ事ができたのだと思います。 |
京滋バイパスと菜花 本文との関係---発行季節】 |
菜花の咲く地は、かつて巨椋池 (オグライケ) と呼ばれ、広大な沼地でした。宇治川の水の一部は、宇治橋の少し下流からこの沼地に流れ込み、八幡辺りから淀川を経て大阪湾に注いでいたようです。 豊臣秀吉は、ほど近い伏見に城を築き、 この池沼の中に戦略上の理由で蛇行する道を付けました。その道 (太閤堤) の一部は今も生活道路 (宇治市槇島町) として立派に役目を果たしています。 この池は干拓事業によって埋め立てられ、広大な田圃になりましたが、周辺区域から徐々に宅地化された上、京滋バイパスも出来て趣が変わりました。 |
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