サイスポ2008年2月号に掲載して頂きました 出雲から下関まで 300q一気サイクリング山陰道から石州街道・北浦街道経験した中で最強の道59歳 平成19年11月10日(土)〜11日(日) |
写真は4月28日撮影 アップはしていないが当時は出雲から萩まで走行。 つまり、完走できなかったという事です |
2003
年9月に自宅から出雲市まで走りましたから、今回はその続きということになります。 2007年11月10日朝自宅を出て出雲市まで輪行。 14時40分スタート、翌11日9時30分頃には下関到着の予定です。 ただ、このルートはアップダウンが延々と続くので予定はあくまで目安です。 |
自転車を組み立てて空を見ると、どんよりとした天気。夏用の上下も持ってきているが、肌寒いので着替えずにそのままスタートをした。この時期は着るものに悩む。経験上13℃までなら夏服でもなんとか大丈夫と記憶していても、ヒンヤリとした風を受けながら曇った空を見るとその気にならない。今回はおよそ20qから30q間隔で12のチェックポイントを設定してある。先ずはJR大田(おおだ)市駅を目指して走る。市内を抜けると直ぐにアップダウンが始まる。しかし、この何ヶ月間かはそれなりに走ってきたし、週二〜三回30分程は、テレビを見ながらローラー台にも乗ってきた。直前の日曜日には25qをアベレージ30Km/Hで走りきった。だから完走できると自分に言い聞かせている。 |
道の駅 キララ多岐にて |
向かい風の中、道の駅キララ多伎が見えた。「石見銀山遺跡世界遺産登録」と誇らしげに書かれている。観光バスや自家用車も沢山止まっている。ちょっと寄っていこう、家族と約束の土産物があるかも知れないと老眼にムチ打って探が見あたらなかった。大田市は店舗も多く、飲食店を探しながら走っていると中華店の看板が見えた。中華丼を食べて胃腸薬とスポーツタブレットを服用。最近はどうしても少し余分なものをに口に入れたくなる。お代を払うと「ありがとうござい
ます、またお越し下さい」。そんなにも来られないけれど、お礼を言ってでた。予定より18分遅れで到着、34分間食事休憩をし22分 遅れの 16時55分スタート。温泉津(ゆのつ)へ向けて走る。 トンネルが次々とある。トンネルの中は飛行機のような轟音に追いかけられることを除いて風が少し弱まり助かる。石見銀山遺跡といっても範囲が広く、銀の積み出し港でその上湯の出る港という温泉津温泉も含まれている。歴史も古く良いお湯が出るそうだが行ったことはない。そういえば島根県は雲州算盤でも有名だった。今はパソコンの時代で生産量も激減しているんだろうな。そんなことを考えながら走っていると、21qの区間にしては少し時間がかかりすぎている。メーターの走行累計距離でみると10q近く行きすぎていた。まあいいか、次の江津(ごうつ)市都野津まで走ろう。都野津のローソンで持参の補給食を食べ、テールライトの電池交換を済ませて走り出す準備をしていると、綺麗な奥さんが微笑みながら近づいてくる。ん?身に覚えはないが?(当然です)。お話では、46歳のご主人がロード好きで、早期リタイヤをして全国を走りたがっているとのこと。「お気を付けて」と思いがけない見送りを受けて元気倍増。 19時15分浜田(はまだ)市へ向けて出発。 |
左 アクアス入口 右 前回 浜田港4月29日6:33撮影 |
10分ほど走ると夜空に美しいアーチの陸橋が見えてきた。しまね海洋館アクアスだ。携帯電話のTVコマーシャルで、空気の輪を吹き出す白イルカのおじさんがいるところだ。機会があれば孫でも連れてきてやれば喜ぶだろう。ヘルメットの風防に雨が落ちてきた。天気が崩れそうだ。少しの雨なら防いでくれる防風着を持ってきているが、着ずに済むものならと祈る。しかし、次第に粒の量が増えて大きくなる。仕方なくバス停の小屋囲いの中で身支度をした。春先や秋口の雨は体感温度の関係でこたえないが、今の時季はきつい。同じ気温でも感じ方は違うし、精神的にも厳しいものがある。 20時15分 浜田市殿町のコンビニポプラに入った。カロリーメイトと予備食として寿司の詰め合わせを購入。アップダウンと向かい風や雨のせいか随分走ったような気がするが、まだ94qしか走っていない。時々霧雨程度になるが、夜空の観天望気はできないので余計にストレスがたまる。 |
左 ゆうひパーク三隅 21:29 右 前回 駐車場からの眺め 4月29日 7:15撮影 |
20時44分、カロリーメイトを食べてまたペダルを踏み始める。前へ進むしかない。回していればしらずしらず進んでいるものだ。40分ほど走ると道の駅ゆうひパーク三隅。愛車の撮影とトイレ休憩。長距離トラックがエンジンを掛けたまま仮眠している。その名の通り美しい夕日が見られる場所だろうが、今は月明かりさえ無い。雨は時々降っているが、幸いなことに足も手も
痺れるほどには冷たくない事が救いだ。名の付いた峠も幾つか越えてきたが、それも記憶に残らないくらい起伏が続いている。何カ所か真っ暗な場所があった。ガードレールの支柱に反射鏡がなく、照明も無い。聞こえるものは風とチェーンの音ばかり。ほんの少し先をポツンと照らすライトだけが頼りの走行。時々後ろから来る車のライトを本当に有り難く感じる。自転車に興味があるのか、上り坂で一台のトラックが数秒間併走した。当たり前の事だが、追い越していく車は皆可能な限り間を空けて行ってくれる。その意味で恐いと思ったことはない。22時40分、1時間遅れで益田市鎌手の交差点に到着。次のチェックポイントはいよいよ山口県に入って「道の駅ゆとりパークたまがわ」だ。行程表の注意書きを確認すると、益田市の益田川を渡ると右折して9号線(山陰道)から191号線(石州街道・北浦街道)へ入ることになる。いざその場所に来ると、よくのみこめなくて数百b戻 って標識を再確認。少し腹が減った。191号線に入って直ぐに、ポプラで幕の内弁当と羊羹を購入して食べた。レシートを見ると25分くらい休憩をしていたようだ。駐車場を照らす外灯に、雨が光の糸を引いている。雨着にパシパシという音を聞きながらハンドルを握った。 走っていると何となくいろんな事を考える。川端康成の小説に雪国があった。誰でも知っている冒頭の文章に「夜の底が白くなった」とある。今回のルートを走っていると「トンネルを抜けると、そこは暗黒の世界だった」と表現したくなる場所が幾つもあった。余りの暗さに思わず口から出た言葉が「なんまんだぶつ、ナンマンダブツ」。暗闇で先が見通せない曲がりくねった上り坂を走る時、気力と脚力が相談をして小休止を取る。そんな時でも外灯の下まではと頑張る。頑張るというより、闇に背中を押されて足を止めることができないという方が正しい。オレンジ色の光の下で、トップフレームに跨って右足を固定したまま息を整える。経験をしたことのない人には想像すら出来ない瞬間。時を同じくして同じ方向を目指している仲間無く、沿道には声援も拍手も無くサポートも無い。真っ暗な中でスポークの一本でも折れたらどうするか。パンクをしたら何処で修理をしようかという不安に風と雨が追い打ちをかける。やっとの思いで上りきれば平坦になり、下り坂が現れる。下りきったと思えばまた上り、上りきった先には又さらなる上り坂。何十年の人生を凝縮したような濃密な時間。 |
左 道の駅たまがわ 寒い! 右 前回 4月29日10:10 ロードに乗ったお兄さんに写してもらった |
日付は11日に変わって1時10分、田万川の道の駅に到着。ここにも何台もトラックが停まっている。雨を避けて薄暗い農産物販売テントの下で写真を撮っていると、近くに自販機の部屋があるのに気づいた。入ると暖房が効いていて暖かい。自転車を持ち込んで買い置きの弁当を食べる。雨は止みそうになく、この先どうするか迷う。萩市まで行けば24時間営業のガストがあることは地図で分かっている。40q余りだから約2時間。そこで降っていればコーヒーでも飲みながら空が白むのを待つか、この暖かい場所で待つか・・・。迷った揚げ句気合いを入れて2時にスタートした。 |
3時、JR宇田郷駅内 |
雨は止んだが風は相変わらず強い。第7チェックポイントはパスして萩市へ急いだ。41qを2時間余りかけて到着。JR東萩駅では誰もいないのを幸いに、三脚を取り出してポートレート撮影。この駅で40分休憩してしまった。 (実は出雲からここまでは、4月29日に走っています。その時は練習不足の上予定の組み方が悪く、タイムオーバーで終了しました。08年の還暦を迎える年には、記念のスーパーロングランをしたくて、脚力を確認する意味を含めてまた来ました。) |
上記()書きの文章が在ったため、サイトやリンクを整理中に記憶が蘇ってきました。当時の写真記録(文章は行方不明)に拠ると、4月の時は駅横のスーパーホテルに前泊し、翌朝6時頃にスタートしたと思われます。ただ、下関まで走る事が出来ずにリタイアしたことがわだかまりとなってアップしなかったのでしょう。 |
7:29 手前は妙見山、奥は青海島 |
まだ明るくならない空の下、雨が止んだのに気をよくして長門へ向けて走り始めた。途中、鎖峠を越えるのが大変でした。何度か休んでは乳酸を騙しながら長門市到着。セブンイレブンでミートスパゲティを食べていると、スペシャライズドに乗った27歳の男性が買い物にきた。坂上りが好きで、近々大会にでるそうだ。下関まではまだまだ坂が続くそうで、しかも鎖峠よりもっと凄い坂があると言う。彼の足でも、前後のギヤを落としても上り切れないらしい。「聞いて良かったのか?悪かったのか・・・・・?」と顔を見合わせて互いに笑った。 8時10分、彼と別れて地獄の坂道へ出発。なるほどと納得しつつ、割賦払いで何とか頂上へ。辛かった憂さ晴らしのためになるべくブレーキをかけずに下りる。下関市豊北町粟野へ来ると「右角島大橋」の標識。運送会社がTVコマーシャルを流している橋だ。 |
9:25 右下関と角島大橋の標識 |
是非立ち寄りたいと思っていたし時間的にも可能だがやめておこう。人生に完全という事はないのだし、何かやり残しがあって丁度良いのかも知れない。近くに俵山温泉があって、妻と一緒に来たいと思っているのでその時に行けばいい。(後年、訪れました) |
10:23 特牛港 特牛(こっとい)の港へでた。海が好きなので自転車の写真でも撮ろうと準備をしていると、バイクのお巡りさんに職務質問をされた。おおーっ、遂に念願が叶った。変わった希望ですが、真夜中に単独走行している不審な親父さんをパトカーで職質して欲しかったんです。親切に何枚もシャッターを 押して頂きました。話しを聞いていると、56歳でお嬢さん二人が京都の大学、息子さんが東京の大学へ行っているとのこと。「しんどい」と言いながらも幸せそうな笑顔が忘れられません。 |
角島大橋遠望 |
長門二見で、国道脇に伊勢の夫婦岩そっくりな風景を見つけて写真撮影。まだまだアップダウンが続く中、来年の記念走行を考えていた。四国一周を したいと思っているが、どうかな?。一周は今回の二倍強の道のり。太平洋沿いと瀬戸内沿いは平坦に近いが、それ
以外はアップダウンの連続。走りきれるか?。挑戦する事が天から許されるかどうか?。今回は今まで叶わなかった思いが随分かなった。そのこと自体が何かしらのご褒美というメッセージではないのか?。もしご褒美であるならば、こんな走り方は最後にせよという意味ではないか?。走行中も大勢の人に声をかけてもらうご縁もあった。一方で、これまではなかったような雨を嫌う自分の心、闇を畏敬する原始の記憶にも出会った。雨の中で休憩中に、動物の子供が闇の中寒さと空腹と寂しさからか親を求めて鳴くような声を聞いた。野生動物と自分が一体化したような、何の力も持たない一動物になったような初めての感覚だ。あと半年間一層の練習を重ねれば、四国一周48耐は不可能ではないと信じる。可能ということと問題がないということは同じレベルではない。それらを承知して万全の上に慎重を期して準備をし、走りきってからそれを一つの区切りにするか、それとも今回を区切りにして、還暦は新しい走行パターンの初めにするか・・・・。
気持は自信があるしやってみたい。しかし色々考えてもやはり何か引っ掛かるものがある。この20時間余りの走
行中に、ご先祖様から多くのメッセージを送られていたような気がする。 |
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