長距離サイクリング 北国街道
(国道8号線)を金沢まで290Km 2002/9/21(土) 54歳 |
いよいよ、自宅から金沢 290Kmの長距離サイクリング。午前4時 起床。月明かりで見ると天候は薄曇。絶好のサイクリング日和。すぐに朝食。キャベツとピーマン、ウインナーの炒め物。ご飯に味噌汁、それに牛乳を一杯。もう少し何かを食べておきたいが、これ以上食べられない。玄関内で家内に写真を撮ってもらう。抱えているシーズーのマックと同じで えらく足が短い。 4:56 第1区 25Km(累計25Km) 5:00(予定5:00)GO 10区間に分けて、アベレージ22Km/Hで作った行程表どおり、5時丁度出発。背中には4kg近いリュック、ハンドルバーには1kgの輪行袋、フレームにはペットボトル2本、サドルバックには電池、ワイヤー錠、携帯工具、パンク修理セット、チューブ1本の装備。ヘッドライトと後ろには赤色点滅灯。R24を北へ走り、宇治川の隠元橋を渡って六地蔵へ。外環状線を山科へ出て、R1を滋賀県大津市へ向かう。暗いのであまりスピードは出せない。大津では通ったことがない道を走ったのでコンビニで確認。おばさんに「気を付けて!」と送ってもらう。程なくR8の大津石山国道口へ到着、6:25(予定6:08)。六地蔵辺りで気づいていたのだが、サイクルメーターが現在速度と時刻以外表示しない。壊れたか?、昨夜時計を合わせた後のリセット操作がまずかったのか?。 ドライブ表示にして、ボールペンの先でリセットボタンを押してみる。チェックすると動いた。「まぁいいか、帰ってからサイクルメーターに第1区間のデータを加えることに しよう。」と、気を取り直す。 |
石山国道口 瀬田川大橋より |
第2区 25Km(50Km) 6:30(予定6:13)GO |
西横関交差点 |
次は竜王町の西横関交差点。野洲町に入るところで三上山(近江富士432m)に朝日が映える。まだ時間帯が早いのか交通は比較的 少ない。快調にペースを上げる。7:23(予定7:21)到着。休憩を計画的に取るためのポイントとはいえ、何もない。小学低学年の子供が二人信号待ちをしていたので、シャッターを押してもらおうかと思ったが、この御時世変なおじさんと間違われてはと考え止めた。 |
竜王町西横関交差点 |
第3区 28Km(78Km) 7:31(予定7:31)GO |
彦根町外町交差点へ向かう。左方向には、織田信長が築いて、本能寺の変後焼け落ちた安土城跡がある。この城跡は発掘作業中で、山の頂上へ向けて次第に明らかになっている。近江八幡には葦原があり、屋形船で近江牛のすき焼きをしながら楽しめるそうだ。一度食べてみたいと思いながらまだ実現しない。右R306、左県道25号線の標識がある外町交差点に到着。8:33(予定8:47) |
外町交差点 |
第4区 37Km(115Km) 8:40(予定8:52)GO |
次は余呉湖への入り口交差点だ。そもそもこのサイクリングを思い立ったのは、北国街道を走りたいと思ったこと。それと、なるべく長距離を走れるうちに走りたかっからだ。日本の街道という週刊誌や「利家とまつ」の影響もあるのかも。そんな訳で、長浜の旧町並みを見に行くことにする。と言うより、北国街道の道標の写真を撮りに行く。 |
長浜スクエアガーデンの角 |
長浜は秀吉が信長に許されて長浜城を築いた町だ。およそ6Kmの寄り道。しかし、道標が見つからない。R8へ戻る近道は無いかと、居合わせた○○運送の自転車便のおばさんに(失礼、私よりも若い)尋ねる。「ここを左へずーと行って、××の所を右へ、それから××を左へ行って又左……」もう何が何だか分からなくなって、「ああーそうですか、やっぱりもと来た方へ戻ります。有り難うございます」すると彼女は、「湖岸道路の方が景色がいいので、教えてあげようと思ったんだけど」。「ええ、でも先を急ぎますので」。合戦で有名な賎ヶ岳近く、R8とR365の分岐点が大きな交差点になっていて、左50mくらい向こうにローソンが見える。予定の場所まで行ってもコンビニがあるかどうか分からないのと、4Km位しか違わないので、ここで昼食にする。到着10:23(予定10:33)。カツ丼、カロリーメイトゼリー、カフェオーレを購入し、持参の梅干、チョコレートと共に食べる。アクエリアスを1本、おにぎりを2個仕入れて峠越えに備える。梅干は途中の休憩の都度、1個ずつ食べている。 |
ローソンにて |
第5区 32Km(147Km) 11:10(予定11:13)GO |
ここからR365の椿坂、椿坂峠(標高500m)栃ノ木峠頂上(標高539m)までの32Kmはこのサイクリングのキー区間。予定は4時間。ここで余った時間だけ到着が早まると計算している。419プレストの店長さんに予め聞いたところでは、だらだら坂が20Km、結構キツイ坂が12Kmとのこと。心配そうな顔で教えて頂きました。数少ない経験の坂道を、あれこれ思い浮かべて想像した区間。 |
当初の休憩予定ポイント |
当初の休憩予定地点を11:20通過。何も無い。さっき休んでおいて正解。緩やかと言うか微妙と言うか、非常になだらかな坂道が続く。いくらなだらかとはいえ、こうも長いと疲れる。路肩の気温表示は22℃。もう5℃も高いと厳しいな。そんな事を考えているうちに次第に勾配が増してくる。二度ほど休んで再び走り出した直後、目に飛び込んで来たのはモーレツな坂。既に120Km以上を 走ってきた自分には、恐怖さえ感じる。しかし、ここで一旦 降車すれば再び乗ることさえ難しい。咄嗟にそう判断して、「この急坂部分を乗り切ろう」と頑張る。幸いにしてその部分は短かったので、雪よけのトンネルを出たところで降車。 |
椿坂峠 |
休憩や写真撮影の後また上り始める。やや傾斜が緩やかになった所に車の退避場所がある。見るとそこに、ツーリング用バイクにサイドバックを付けた若い女性が居る。しかも普通のTシャツにジャージの長ズボン。私は思わず、「この坂道を簡単に登ってこれましたか?」。と彼女は、「いいえ、もう何度も何度も休憩しながら来ました」。聞くと名古屋の自宅から彦根までJRで来て、彦根から福井の友人宅へ行くところと言う。この大学一年生のお嬢さんにお願いして、シャッターを押してもらう。取り敢えず先に出発。途中に山清水とコップがあったので頂く。冷たく美味しい。さらに進むと右手に「淀川の源」の碑がある。源というらには、ひょっとして峠の頂上かもと思い、降りて余呉町案内図を見ると正に栃ノ木峠の頂上だった。 13:13到着(予定15:13)。オオーッ、2時間も余った。JR金沢駅到着は22:32の予定だが、20:30ごろ着けるかも。琵琶湖の水は大津南郷の洗い堰を出て瀬田川(滋賀県)になり、宇治川(京都府)淀川と名を変え、八幡市で桂川と木津川に合流し大阪湾に注ぐ。この三川合流地点は名神大山崎(天王山トンネル)付近で、秀吉と光秀の戦でも有名だ。途中工事中の場所があり、あの女性は大丈夫かな?と思いながらゆっくり休憩をしていると、上がって来たので「ここが頂上!」と声を掛けてあげる。もうこれからは下り坂だから楽に行けますよと、別れを告げて出発。 |
淀川の源 碑 |
第6区 28Km(175Km) 13:35(予定15:23)GO |
板取宿由来の案内 |
速い速い!曲りくねった坂道を53Km/H位で駆け下りる。時間が余ったので、今庄の日野川沿いの小さな店でペットボトルを仕入れるついでに、パック入り抹茶小豆カキ氷を買う。一緒にアミノバイタル、チョコレート、梅干を食べる。一寸休憩のしすぎかな。それにしても今日は向
かい風がよく吹く。腰を上げて行松の交差点を目指す。高架が横切る形になっておりR8は右方向の矢印があったが、北陸自動車道への表示と思い真っ直ぐ進む。後で考えれば、ここでR365と別れ再びR8へ入るのだから素直に右へとれば良かったのだ。600mほど進んでからおかしいと気づく。日野川を挟んでかなり向こうに車の走るのが見える。目の前の交差点は「松森」となっている。地図は文字が小さいのと疲れているのとで、良く読めない。遠近両用が必要なのは辛いよね。間違えたと判断して橋を渡ることにする。道を探すのに止まった場所を休憩ポイントということにする。 到着14:50(予定16:23) |
第7区 27Km(202Km) 14:55(予定16:33)GO |
橋を渡り、遠目に見ていた広い道路へ出て左へ走る。福井市の新保交差点が次の休憩場所で、その辺りで夕食の予定だ。JR鯖江駅付近の跨線橋は、自転車通行禁止の標識を見落としたのではないかと気になりながら走った。ぺリオシティーというスーパーの駐車場脇に止まって、ガードマン氏に「私は…、今…、どこにいるので…、しょうか?」。ガードマン氏も思わず、差し出した地図を見ながら、「アナタハ、イマ、新保交差点の3Kmくらい手前です」と。南四ツ居という交差点だった。レストランがありそうなので、ここを休憩ポイントに変更。到着16:05(予定17:46)二階へ上がり親子丼を注文。体が塩分を欲しがっているのか、随分薄味に感じる。ガソリンと思って懸命に食べる。食べながら、頭では食後のソフトクリームに思いを馳せている。休憩時間が長 引いた。さあ行こうか!。 |
第8区 25Km(227Km) 17:10(予定18:26)GO |
丸岡町の竹田川を渡る手前で、きれいな夕日に気づく。17:48。左方畑奥の家並みの上に日が沈んでいく。日没前の写真を撮る。これから金津町に入って、牛ノ谷峠を越えて熊坂交差点を目指す。行程表を作るとき、大した峠では無いと格別な考慮はしていない峠だ。ところが、いざ峠に差し掛かってみると大間違い。走行距離が200Kmを越えての向かい風。その上街灯もなく暗い。勾配も坂を感じるには十分。「こんなきつい坂の筈じゃなか ったのに」と一人ぶつぶつ。ヘッドライトは点けているが、あまり良く見えない。後ろから来る車のライトで、予め先のほうまで道路状況を見ておくがスピードは出せない。「熊坂検問所」の標識がある。到着18:16(予定19:34)。街灯の下で休憩を兼ねて、予防のための鎮痛ゲルを足に擦り込む。向こうのガソリンスタンドの店員がこちらを見ている。暗闇の中で休憩していれば、不審者に見えるんだろうなと思う。 |
第9区33Km、10区24Km(284Km) 18:25(予定19:44)GO |
1時間半近くの貯金がある。暗いし、ゴールまでの57Kmは休憩なしで行くことにする。ライトが1時間ほどで暗くなる。福井県と石川県の県境に到着。「石川県」、「加賀市」、「下り勾配8%」、「秋の交通安全運動」などの標識が立ち並んでいる。まっさらの電池を入れたのに。仕方なくもう一度入れ替える。念のため、明るいところでは予備の豆ライトだけにして電池を節約する。突然後ろからけたたましいクラクション。自分は路肩60cmくらいのところを走行しているし、道路は片側2車線で前方はがら空き。にも拘らず、大型トラックが幅寄せをしてくる。思わず口の中で「馬鹿野郎!運転のプロだろう」。金沢まで38Kmの交差点(恐らく黒瀬交差点)で、信号待ちのため左足を路肩の縁石に足を乗せようとし たが、クリートが外れなくて転倒。休憩や写真を撮るときに土の上を歩いたので、クリートに砂が咬んでいた らしい。左の膝を打つ。素早くアイススプレーを噴きかけ、湿布を貼ってサポーターで固定。我ながら、準備万端怠りなし。でも転ばない事が一番大切と反省しきり。痛めた左膝をかばいつつ大長野の交差点にさしかかると、「金沢方面は左へ寄れ」の標識がある。そのまま左折をして短い坂を登る。広い道路へ出たのでそのまま走行。えらく薄暗い道で、ところどころ工事中だ。後ろから来る車は、びゅんびゅん飛ばして行く。次第に不安になってくる。ひょっとして、自動車専用道路へ迷い込んだんじゃないだろうか?。それなら誰か一人くらい、クラクションで教えてくれそうなものだが。中秋の名月を見上げる余裕も無い。橋を渡る。暗くて橋の名前は読めなかった。(後で手取川大橋と判明)止まってチェックをすれば良いのだが、不安と疲労で思考力が鈍っていたようだ。所々にこの道に入るためのランプウエイがある。降りる道があり、左前方下に赤いランプが見える。降りよう…。降りてみると信号だった。 |
マンテンホテル 玄関 |
工場地帯なのか車も通らない。待つこと約5分、赤信号で車が止まったので尋ねると、降りた道に戻ると良いとの事。ああー良かったと一安心。相変わらずの向かい風の中を金沢駅に到着。21:24(予定22:32)。直ぐに自宅へ電話を掛ける。迷いながら宿泊先のマンテンホテルへ到着。チェックインを済ませて眠りに就いたのは午前0時を回っていた。翌日はバスを利用して、長町の散策をしました。 |
距離284Km、走行時間13時間36分、朝の5時から夜9時24分までの旅でした。1999年12月に、家内に愛車ジャイアントOCR1をプレゼントして貰って、「自転車は自分の足で走らせるもの 、自転車の良し悪しではない」の気持ちで乗ってきました。今回のサイクリングは、坂道と向かい風の洗礼に膝の打撲というおまけ付でしたが、いい思い出になりました。更に、投稿した日記がサイスポ2003年2月号に掲載して頂けるという記念になりました。 下に高低図があります |
サイスポに掲載して頂きました |
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